若手監督インタビュー 『虎穴にイラズンバ』竹中貞人監督

最初の制作段階では1960年代の時代設定にしていたんです。

———最初に『虎穴にイラズンバ』の着想から完成までのプロセスを教えてください。


竹中監督(以下、竹中):まず、僕自身昭和の時代が好きっていうのがありました。当時大学四年生でだった時に、卒制を撮らないといけない、何しようかなってなった時に、昭和を舞台にしたかったんですよ。こうやって芸術をやってるやつって、地元の友達からしたら就職とかしないイメージがあるわけじゃないですか。そういう、ちょっと白い目で見られるみたいなことを昭和に置き換えたら、学生運動に類似する部分があるんじゃないかなっていうのがあって。だから、最初の制作段階では1960年代の時代設定にしていたんです。

———設定自体が1960年代だったんですか。

竹中:はい。東大安田講堂事件をモチーフにしたシナリオを書いてたんですよ。コメディ要素は少なくて、ちゃんとした学生運動の話だったんです。それを書き切って、そのシナリオを担当の先生に見せたんです。そしたら「これ、予算一億位必要だけど大丈夫か」って(笑)。こういうのは一回取材した方がいいからと言われて。それで、ある大学に行って、主人公の高須みたいに取材へ行ったんです。今も学生運動やってるって言うから。色々話を聞いていって「結局君たち卒業したらどうするの?」って聞いたら、「就活する」「就職する」って。

———なるほど(笑)。

竹中:「えっ?」てなる(笑)。
そこで、「君たちはアクセサリー感覚で学生運動をやってるのかい?」って僕が聞いたら喧嘩になって帰ってきました。これをシナリオにしたらおもろいってなって思ったんですけど、1960年代を再現するのは無理だったので、これを現代に置き換えないといけなくなった。現代で真面目に学生運動をやっていたとしたらしっくりこないなって取材に行って思ったので、ありのままを描いたという感じです。

———最初に政治的な話を書いていて、そこからコメディになっていくというのは、シナリオを書く上でも大きな転換があったと思いますが。

竹中:最初もコメディチックなものにはしていたんですけど、元からそういうのが撮りたかったんです。ただ、前のストーリーはもっと社会的な部分に入っていくシナリオだったんですよ。それをあえて学生運動っていうステージだけを用意して、その中で現代のダメな学生を動かした方が面白いんじゃないかなっていう。

“おりそうやな”って思わせるところまでどう落とし込むかを重視して

本読みをやっていた気がします。

———撮影はどのように進めたのかをお聞きしたいと思います。やはり舞台となる寮が印象的で、あの空間が映画の根幹に関わっている、印象深い建築ですね。

竹中:あれはまず外観の映像と内観の映像が別の場所で、外観は廃校を改造してカフェにしてる場所があったんです。中は本物の廃校を使ってて、和歌山県にあるちっちゃな、電波も届かないような廃校でした。そこをクランクインの一ヶ月位前から、美術部とか関係なくみんなで物を片付けて仕込んで、完全にそこにスタジオを作って。泊り込みの合宿で撮ったんですけど、その廃校を管理している行政局も町おこしが口癖だったんですよ。それで、ある時行政局に鍵を借りに行くと、奥から歯を磨いてるおばちゃんが、「小栗旬来るってほんま?」って。「私、北川景子って聞いたけど。」「そんなわけないですやん。」ってなって。「でもそれ困るわ、私らもう新聞社呼んだから」みたいな会話になって、結局、撮影中の現場に

5社くらい取材が来たんですよ。撮影ストップして、僕はずっと取材を受けました(笑)。

———衣装や空間も含めて、人物造形をしっかり視覚的に見せてキャラクターを動かすことでこの映画を見せていくという意思を強く感じました。

竹中:キャラクター作りに関してはクランクインの1ヶ月くらい前から役者との本読みをずっとやっていました。特に、タサキっていうリーダーは、「普通そんな奴おらんやんけ」みたいなキャラクターを作らなきゃってなったんですけど、実際“おらんやんけ”っていうキャラクターを作るのは簡単で、そこを見ている側に“おりそうやな”って思わせるところまでどう落とし込むかを重視して本読みをやっていた気がします。
最初からあの寮に住んでいる感じを出さないと、あの寮が生きないんじゃないかなと思ったんです。でも最初、タサキ役の佐野とかはずっと舞台しか出てなかった舞台俳優だったんですね。だから最初本読みの時も、「もう大変や。」って言うセリフを、「(大げさに)大変や!」って言っちゃってて。それ誰に言ってんの?(目の前の)観客に言ってない?って。映画だから相手役に言えばいいだけだからって。そういうところから本読みがスタートしてました。

———竹中監督が、この物語を映画にしたいと思う時の基準などはありますか?

竹中:まず、自分がその作品を観たいかどうか。こういうやつあんまりいないよなとか、学生運動とコメディってあんまりないとか、心に引っかかるフックがあるかどうか。あとステージ・シチュエーションですかね。その世界に興味があるかは別として、一般的に他の人が知らなくて、その知らないところで行われるコメディって好きだなと思っていて。単純に興味があるし知りたいなって。

———様々なシチュエーションを持つ題材をコメディとして撮っていくことは、映画を作る上での竹中監督独自の欲のようなものなのでしょうか。

竹中:実際それもあまりなくて、コメディだからどうというわけではなく“最大公約数”を撮っていきたいっていうのがあって。

———最大公約数…?

竹中:自分の芸術性を人がわからなくてもいいやっていうものが世の中の映画ではあるじゃないですか。でもそれは結局観
てもらえないわけで、作品はやっぱり人に観て貰って初めて作品になると僕は思っているんです。結局、今の若手の映画をいろんなところで観て来たときにコメディ作家って少ないし、その点も含めて観た時に楽しいなって思えるということは重要だと思うんです。
ウディ・アレンの思想というか、一瞬だけ楽しければいい、その映画を観て30分だけ後で話せたらいいや、みたいな。人の心を突きさすような熱いものもすばらしいかもしれないけど、映画っていうのはその時間だけで楽しめるエンターテイメントであれば僕はいいと思ってる。
小さい頃に自分が魅了された映画って全てにステージがあって、スピルバーグの映画だったり『バック・トゥ・ザ・フューチャー』だったり『グーニーズ』だったり、それぞれにきちんとしたステージが用意されていてその中でキャラクターが躍動するっていう、しっかりと構成された中で最大公約数を撮っていく。今彼らは何をしているのかっていう状況が分かり易い中で映画を楽しむのが好きなのかな。

 

———『虎穴にイラズンバ』もそうですが、確かに一人のキャラクターの目的が何なのか・次に何をするのかが明確に示されていく。それに対して何が起こるかというやり取りが面白いです。

竹中:常識の中に非常識を入れ込むのが好きで、例えば劇団「大人計画」などの笑いは非常識に非常識をぶつけて「何やってんの?」っていうクスクス感と笑いにつながると思うんですけど、常識のある人がいる中で非常識さがトンッと目立つギャップが僕は面白い。常識がある=観てる観客と同じ目線に立てるっていうところから、非常識という世界へ入れる構図が一番分かり易いかなと思っているので、主人公だけは絶対に常識人を描きたいと思っています。

———竹中監督にとって、いわゆる監督の役割をどんなものと捉えていますか?例えばそれはシナリオ作りであったり現場の段階であったり、編集の段階であったり色々あるとは思うのですが。

竹中:僕が常に思ってるのは、隙。隙のあるやつになろうと。

———“隙”ですか。

竹中:やっぱり総合芸術なので、どれだけの人が同じベクトルを向いて制作できるかってきっと大事だと思うんですよ。監督に隙がなかったら、例えば助監督は監督に怒られまいとして仕事をする。だから隙を作るように心がけてて、その助手がしっかりしてるから、「自分がおらんとやばいわ」っていうことを周りにどれだけ思わせられるか。監督としての役割は、隙を作ることかなと。

 

text:深田隆之  photo:中島すみれ