若手監督インタビュー 『ある惑星の散文』深田隆之監督

自分が映画と接する上で、どのような形で映画と触れるのか

その糸口はやっぱり「わからなさ」みたいなところにあります。

———まず、今回の作品の中で撮りたかったものって何だったんでしょうか。

深田:女性が男性に依存をすること、しないことを映画の中で考えてみたかった。女性が付き合っている男性に対して依存的に接している、というのはどんな状態なのか。その状態にあるグラデーションの中に「自分が認められること」「承認されること」だったり、「忘れてしまう」「忘れられてしまう」といった登場人物の要素が徐々に入り込んできた形です。
撮る前は自分でやっていることが分かっていない部分も多くありましたね。自分の中でこの作品が「女性が自立する話」なんじゃないかなと発見したのも、現場や編集している段階でした。あるシーンで「私はもうアツシがいなくても大丈夫」っていうセリフがあるんですが、それを現場で聞いた時に「ああ、自分はこのセリフを言わせたかったんだな」と思いました。

———作品の中でメイコと誠という兄と妹という関係性も出てきますが、その関係性の中でも何か見せたかったものはありますか?

深田:そもそも兄弟って、何かしらの不平等を抱えていると思っているんです。例えば上の子の方が親からの愛情が強いとか、その逆とかって普通にありますよね。作品の中では妹のメイコは好きな道、役者っていう道を進んでいって、それに反発するように真っ当な道を行こうとしている兄がいて、その微妙な対立みたいなものはすごくやりたかったです。ケンカもするんだけど、むしろ微妙な感情を台詞の中に入れて描く事はやってみたかったですね。

———以前撮られた『one morning』(2013)をはじめ、作品の中で女性が話の中心にいることが多いような気がしています。

深田:理由は分かっていないんですけど、学生の時からずっとそうでした。
それは物語的にもそうだし、女性をフレームに映すことにすごく興味はあります。ただ、それが何故なのかは分かってない。分かってないから撮っているんだろうなとは思うんですが、それは女性の気持ちを理解したいって事でもないんだと思います。

『one morning』(2013/7min)全て観られます。 ※外部リンク

———映画を撮る上で、わからないから撮るというのはすごく共感できる部分もあります。

深田:絶対に描きたいメッセージがあって、強度のある作品を撮っている人もいると思います。ただ、自分が映画と接する上で、どのような形で映画と触れるのか。その糸口はやっぱり「わからなさ」みたいなところにあります。わからないから撮ってみる。わからなさは僕が映画を作っていく時の最初の入り口だと思います。

———出演者の方はどういう経緯で?


深田:ルイ役の富岡さんとは3年前のKisssh-Kissssssh映画祭っていう映画祭でお会いしていて、割と早い段階で富岡さんをイメージしていました。当て書きではなかったけど。そもそもオファーが早かったんですよ。撮影が2016年の2月頃だったんですが、2015年の6月くらいの段階でオファーを出していて、富岡さんはずっと作品と並走してくれました。

———メイコ役の中川ゆかりさんはどういう経緯ですか?


深田:2015年のぴあフィルムフェスティバルで鈴木卓爾監督の『ジョギング渡り鳥』をたまたま友達に勧められて観に行って、出演されていた中川さんの演技を見ました。その後に映画美学校で鈴木卓爾さんの東京造形大学時代の卒業制作『にじ』を上映するというので観に行ったんです。それが『ジョギング渡り鳥』の劇場公開までのプレイベントという感じで、そこに中川さんもいらっしゃいました。そこで話をすることができて、この人は面白いなって思いました。スクリーンでも見ていたけど、人に興味を持ったっていう方が先だったのかもしれないですね。

———今回印象的な音楽を使われていますが、作曲のアルプさんにはどういう形で依頼されたんですか?
 
深田:一般的には編集した映像を渡して考えてもらう形が多いかと思います。ただ、今回は脚本の段階でオファーしてまずは脚本を読んでもらいました。それが良いか悪いかは分からないんですけど。撮影が始める本当に直前に「こういう話なんです」って脚本をまず投げて、撮影が終わった後に素材とか編集されたものを見ないで作ってもらいました。
だから、最初はルイがどんな人か、メイコがどんな人かっていう実際のビジュアルはわからない状態で作ってもらいました。脚本の印象だけで二曲ぐらい作ってもらって、編集した後に実際の映像を観てもらいました。そこからまたすり合わせをして、「曲数をどうしようか」とか、「どこでどう入れよう」ってことも含めて一緒に考えていきました。

今日はこうだったよね。じゃあ明日はこうしようっていう。

普通は「今日の撮影は終わった。じゃあそれぞれ帰ろう」っていうのが当たり前だから、その時間をとれるっていうのはやっぱり幸せなことだった。単純に幸せなことだった。

———今回スタッフはみんな泊まりで撮影を行ったということですが、それもなにか方針があってのことですか?

深田:スタッフと、結局それが効率いいだろうという話になって決まりました。全編本牧で撮るし、14日間くらい拘束するのだったら、泊まった方が楽だしお金もかからない。みんなでご飯も作ろうという話になりました。結果的に上手く一軒家を借りられて、割と事務的な手続きの中でスタッフは泊まりでやろうという話になりました。でも、それはすごく良かったと思っています。

———どういう点で良かったですか?

深田:これだけの少ない予算と人員でやる時に、モチベーションをどうやって維持するかってすごく重要なことだと思っていました。それで、できるだけ寝られるようにするとか、できるだけ一つのシーンに時間をかけられるようにするっていうことを優先しようと思っていたんです。14日間は規則正しく、朝早く起きて、昼飯は昼に食べて、夕飯は18時・19時くらいに食べることができました。撮影から終わって帰ってきたら撮影部はデータの管理とかをしてくれて、他の1人はお風呂をとりあえず沸かして、もう1人はキッチンでご飯の準備をする。それぞれ分かれて作業をやるみたいなのがルーティンとしてあると、生活の延長線上に撮影があるっていうサイクルができてきました。そうすると夜に余裕があるから「明日どうする?」みたいな事を話し合う時間をものたくさん取れて、「今日はこうだったよね。」「じゃあ明日はこうしよう。」っていうやり取りができました。普通は「今日の撮影が終わった。じゃあそれぞれ帰ろう。」っていうのが当たり前だから、その時間を取れるっていうのはやっぱり幸せなことだった。単純に幸せなことだった。

———最後にどういう人にこの作品を観て欲しいとかってありますか?

深田:単純に素朴な願望として、男女問わず同世代の人に観て欲しいなっていうのはあります。映画の感想が多分男女で変わると思うので、そこでまた話して欲しいなっていう願いはありますね。

text:植地美鳩  photo:大谷英土